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ADHDで転職を繰り返した40代男性が介護の仕事で見つけた生きる道②

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渡邊

転職活動お疲れさまです。

40代・「現役」介護福祉士の渡邊です。

この記事では、ADHD(発達障害)のために転職を繰り返した結果、40代でひきこもり、抑うつ状態でメンタルクリニックに通うまでになったNさん(40代:男性・独身)の実にリアルな体験談を紹介しています。

この記事を読んでいただくことによって、ADHDで人生につまづいてしまっている方でも、安定した生活を取り戻すために介護の仕事という選択肢もあるのだということがお分かりいただけると思います。

 

>>関連記事:【ADHDで転職を繰り返した40代男性が介護の仕事で見つけた生きる道①】Nさんが40代で介護職に転職するまでの大まかな流れを解説しています。

 

40代で介護職へ~ADHDのNさんが生きてきた道

幼少期

一言でいうと静かにしていることが大の苦手な子供でした。

授業中は貧乏ゆすり・鉛筆や爪かみが絶えず、授業が早く終わることばかりを考えていました。

ただ図画工作の授業だけは大好きで、放課後に残ってまで作業をしていました。

交友関係ではすぐに会話に割り込み自分のことばかりを話してしまうため、通信簿には「おしゃべり泥棒」と先生に書かれてしまいました。

親からはガマンができないことをよく怒られました。

たとえば、母親と買い物に外出すると列に並ぶのが苦手なため、バスが大嫌いでタクシーに乗りたがり「ぜいたくを言ううんじゃありません!」とよく叱られました。

また、デパートでは欲しいおもちゃを親が買ってくれないと、床に寝ころび大暴れで長時間泣きじゃくるため、家に帰ってから「もうデパートには連れていかないからね!」とよく怒られました。

 

中学~大学

とにかく「束縛」「団体行動」が苦手でした。

なので、中学~高校では部活=美術部に所属してもほとんど参加しない幽霊部員でした。

楽しみしている人が多かった修学旅行も、ボク自身はイヤで堪らなくつまらないモノでした。

高校2年生ごろから文学(太宰治・ドストエフスキー・カフカなど)に傾倒し、面倒くさい「文学青年」きどりで周囲に煙たがられていました(汗)

大学では念願の文学部に入学しましたがクラスでは友達ができず、サークル活動にもなじめず、不登校になり2年で中退をしてしまいました。

 

社会人

大学中退後、1年ほど大学生の時に働いていたコンビニの夜勤をダラダラと続けました。

そんなボクを見かねた親のコネで、個人事業の設備会社(水道関係)に就職。

温厚で面倒見のいい親方の世話になり、約10年間安定した生活を送ることができました。
自分の人生はこれで安泰だと思っていました。

ですが、お酒付きで痛風持ちの親方が脳出血で倒れ設備会社は廃業=ボクは失業してしまいました。

小さな設備会社に転職しましたが、ここから再びADHDの衝動性が強く表れ人間関係がコジレはじめます。

・職場の先輩にすぐに自分の意見を言ってしまうため、仲間外れ的な立場に置かれてしまう。

・自分だけ現場に連れて行ってもらえず一人で集金をさせられる。

・これ以上悪い立場に追い込まれないように「不用意な発言をしない」「勝手な行動をしない」と常に自身を監視するため、その抑圧からストレスが更にたまってしまう。

・飲み会で泥酔し先輩や上司に暴言を吐くなど迷惑をかけまくってしまう……。

こんな状態が続き人間関係は修復不可能になり2年で退社。

その後も設備関係の会社へ転職しても同じことの繰り返しで、1~2年で転々とする。

「自分は我慢ができない、人間関係をうまくこなせないダメな人間なんだ……」
と徹底的に自信喪失
実家にひきこもる。

幸か不幸か親と同居のパラサイトシングルであったため、生活には困ることはありませんでした。

そんなぬるま湯の環境で約3年間引きこもり生活を送ることに。

この時期の自分は日により波が激しいうつ状態で、職探しもせずに空虚な時間をダラダラと過ごしていました。

 

こんな僕を心配した(見かねた)看護師の姉が、僕の部屋に乗り込んできて5時間ほど徹底的に説教&相談にのってくれました。

そして姉から「ちょっと気になること(発達障害)もあるから、メンタルクリニックを受診して検査を受けなさい」といわれました。

この時は何のことかよくわかりませんでしたが、ボク自身も「この状況をなんとかしたい……」と心の底では願っていたので、姉が看護師のつてで探してきてくれたメンタルクリニックを受診することにしました。

クリニック先生は60代と思われるとても感じのいい方で、初回の受診時には一時間半ほどボクの話に耳を傾けてくれました。

そしてある検査を受けることを先生に勧められました。

それが、発達障害に関する検査だったのです。

検査の結果を見た先生は、脳波を取ることを勧めました。

検査+脳波の結果、ボクは「発達障害の一つ、多動性・衝動性優勢型のADHDだと思われます」と先生に言われました。

「ADHD……?なんだそれは……」

先生からADHDに関する説明を受け、ボクの中に2つの大きな思いが沸き上がりました。

一つは「ボクには障害があるのか……」というショックと、「そうか……だからこんなに生きにくかったのか……」というどこかホッとした気持ちです。

先生に「いままでギリギリで精一杯に生きてきたんだね」といわれたとき、40代のおっさんがはずかしいと思いながらも、涙がポロポロと止まりませんでした。

 

通院を続けながらADHDに関する本を読んだり、ネットで徹底的に情報収集をおこないました。

このときに発達障害であるADHDでも手帳(精神障害者保健福祉手帳)の交付を受けられることを知りました(ちなみに、発達障害“専用”の手帳というものは現時点では存在しません)。

手帳の交付を受けて障害者枠で雇用され、ADHDということを会社に認めてもらい働くことも考えました。

そのことにより周囲の理解を得られることも大きいですが、ADHDという障害を隠し続けなくていいという心理的な負担からも逃れられるという大きなメリットがあります。

ですが、障害者枠での雇用は「選べる職種が限られている」「正社員雇用が少ない」「給料が安い(昇給もほとんど望めない)」というデメリットもあるのです。

手帳の交付を受けても障害者枠での雇用を望まなければ、手帳の所持の有無は一般枠での雇用には関係ない(自ら申し出なければ会社側に知られることはない)ので、手帳の交付だけでも受けておこうかとも考えました。

しかし、ボクの場合は「もう少し手帳に頼らずに自分の力で生きてみたい」という思いがあったため(この時点では)手帳の取得はしませんでした。

)ボクよりもADHDの影響が強く、社会生活を送るうえで上で大きな障害となってしまっている方は、精神障害者保健福祉手帳の交付を受け、障害者枠での雇用をぜひ検討してください。

手帳の交付を受けることは当然の権利なので、なんら恥ずべきことではありません。

最近では何が起こるかわからない将来を考え、万が一の保険としてボクも手帳を取得しておこうかと考えています。

 

クリニックで処方された薬(コンサータ・アルプラゾラム・セルシンなど)を飲みながら約9ヵ月間通院し、うつ状態は寛解しました。

カウンセリングや独学でADHDという障害について理解し、セルフコントロールの技術を学ぶことにより、「また働きたい」という気持ちが芽生え始めました。

そして先生から「そろそろ大丈夫じゃないかな?辛くなったらまたココに来てください。薬もその時に考えましょう」といわれました。

しかし、ボクとしてはまだ不安があったため「うつやADHDの衝動性に振り回されそうなときに頓服で飲める薬は頂きたい」ことを先生に話し、通院は一度終了することとなりました。

社会復帰に対する自信が回復したボクは、ハローワーク通いを始めました。

しかし、再び設備関係の仕事には就こうとは思いませんでした。

ガテン系の人たちとの人間関係になじめる気がしなかったからです。

決してガテン系の人たちが悪いわけではありません。

ADHDという発達障害を含めたボクの性格でこじれた人間関係の失敗が、ガテン系の業界の人たちとは合わないというトラウマになってしまっていたのです。

ですが、ボクは40代のおっさんです。
転職に有利なスキルも資格も持っていません。

こんなボクに希望の仕事がすぐに見つかるわけがありません(何が希望なのかもわかっていませんでした)……。

ようやく社会復帰をする気持ちが起きたのに、いきなりつまずいてしまいました。

漠然と3ヵ月ほどハロワに通いましたが、毎回暗い気持ちでの帰宅でした。

 

そんな心の曇天続きだったある日のこと。

ハロワ帰りにせめてもの気分転換にと、駅前のスタバで大好きなキャラメルフラペチーノを飲んでいた時のことでした。

保育園時代からの幼なじみの渡邊さん(このブログの中の人)と、10数年ぶりに運命の出会いを果たしたのです。

運命の出会いなんて言うと男同士なのに気持ち悪い、大げさだと思われるかもしれませんが、ボクにとってはこの渡邊さんとの出会い、10数年ぶりでの再会があったからこそ、今の安定と充実感のある生活があるのです。

「あれ? Nさんじゃない?」

キャラメルフラペチーノをぼんやりと味わっていたボクに、渡邊さんが声をかけてくれました。

その日仕事が休みだった渡邊さんは、駅ビルで買い物をした帰りにスタバに立ち寄ったのです。

「久しぶりだね~。調子はどう?」

渡邊さんの笑顔にボクの心がスッと軽くなるのを感じました。

そして「この人にボクの現状を打ち明けてみよう」と思い立ったのです。

あの時のボクの心境はまさに「溺れる者はワラをもつかむ」気持ちだったのです。

ADHDの衝動性ゆえなのか、幼なじみだけれども最近はまったく疎遠であった渡邊さんにすべてを打ち明けました。

ボクにはADHDという発達障害があり職を転々としていること。

3年近くひきこもりうつ状態になってしまったこと。

メンタルクリニックに通いうつ状態は改善し、ADHDとの向き合い方は学ぶことはできた。

だが、40代で転職に有利なスキルも資格もないボクには仕事が見つからず、途方に暮れているということを一気呵成(いっきかせい)に話しました。

渡邊さんはこんな迷惑な話を、黙って1時間ほど聞いてくれました。

ボクの怒涛の勢いによく耐えてくださったと思います。

そして、「いまは本当に働きたいんだね?」と念を押しました。

ボクは迷わず頷きました。

ただ、ADHDという発達障害であるため、就職できたとしてもうまくやっていけるかわからない不安があるとも話しました。

すると渡邊さんは、
「ボクもNさんと会わない間にイロイロあったんだよ」

といって30代後半でリストラにあったこと、転職を焦りすぎ失敗してしまったこと【プロフィール前編】、介護職専門のサービスを利用して効率的に職探しをして、いまは高待遇で人間関係の良好な介護付き有料老人ホームという高齢者の方の介護施設で働き、安定した生活を送れていること【プロフィール後編】を話してくれました。

渡邊さんの話をきいてまず思ったことは「え? 介護の仕事……? もろブラックなんじゃないの……?」ということでした。

介護の仕事と言えば世間的には3Kならぬ4K(キツイ・キタナイ・キケン+給料安い)と言われています。

そんな介護の仕事で幸せで安定した毎日が送れるはずがない……そう思ったのです。

ボクは率直にその疑問を渡邊さんに投げかけました。

すると、

「ブラックな介護施設があることは事実だよ。
実際にボク自身もはじめの転職でブラック介護施設に就職してしまったしね。
でもね、介護の仕事がすべてがブラックなわけじゃないんだよ。
高待遇で働きやすい介護の現場、介護施設があることも事実なんだよ。
なぜか世間にはそういう情報がほとんど流れないんだけれどね」

といって笑いました。

渡邊さんの笑顔と感じられる余裕とから、話はウソではないことが伝わってきました。

しかし、にわかには信じられませんでした。

腕を組んで疑問符(?)を頭の上に浮かべて唸っているボクに渡邊さんは、

「ただ、一人で高待遇で職場環境の良い介護施設を探すのは正直難しいと思うよ」と言いました。

じゃ、どうしたらいいのかとすかさず切り返すと、

「無料でとことん転職をサポートしてくれる介護職専門の転職サービスを利用するんだよ」と言いました。

そして、介護職専門の転職支援サービスは数多く存在し、それぞれに個性=「無資格の求人に特化・資格取得が無料になる・非公開求人を数多く取り扱う・Uターン・Iターンに特化している」があるため目的に合った選択が重要。

2社のサービスに登録し、求人の数と質・キャリアアドバイザーの対応の質などを比較する方法がbest。

などを詳しく教えてくれました。

キャラメルフラペチーノ一杯で4時間ほど話しました。

ボクにとっては人生の転機ともいえる濃密な時間でした(渡邊さんは仕事が休みなのに、相当疲れてしまったと思います……)。

別れ際にボクから感謝の握手を求めると、渡邊さんは力強く握り返してくれました。

そして「正直ちょっと変わってるとこもあるけど、元気で楽しいことが大好きなNさんなら必ず幸せな社会復帰が果たせますよ!」と背中を押してくれる温かい言葉をかけてくれました。

家に帰るとさっそくすぐにパソコンを立ち上げ、「介護職専門の転職支援サービス」について調べました。

風呂も夕食も後回しにして、それぞれのサービスについてExcelで表を作り徹底的に比較をしました。

>>40代・介護職未経験・無資格の方向けの介護職専門の転職支援サービスをすぐに知りたい方は【40代・未経験の方専用|介護職専門転職支援サービスランキングbest4!!】をお読みください。
サービスを利用したことがない方にも簡単に違いを理解できるようにまとめてあります。

 

比較・検討の結果、介護職未経験+無資格の求人取り扱いに特化した「かいご畑」と「ツクイスタッフ」に登録をしました。

公式ページで名前や携帯番号を登録すると、まもなく電話がかかってきました。

かいご畑・ツクイスタッフとも感じのいい、丁寧な女性オペレーターの方でした。

登録者の本人確認と希望の勤務地域など2~3の質問後、専属のキャリアアドバイザーからこの後連絡があるということを話されました。

双方のキャリアアドバイザーの方と話し合い、よりボクの希望に見合う求人を提案してくれた、かいご畑(渡邊さん一押し)の方と転職活動を進めることに決定しました。

そして、キャリアアドバイザーの方と共にじっくり吟味して選んだ、老人保健施設を第一希望とすることにしました。

転職活動の際には希望の求人情報の紹介以外に、待遇面の交渉(基本給・夜勤手当・資格手当の額など)と契約内容の確認(年間休日数・有休の取得状況・残業代の支給額などの確認)までもフルサポートしてくださいました。

 

右も左もわからない未知の介護業界への転職。

緊張するとADHDの衝動性が強く出て思ってもいない発言をしてしまい、相手に不快な思いをさせてしまう可能性が高いボクにとって、キャリアアドバイザーの方は心の底から「救いの神」といえる存在でした。

転職先の老人保健施設は待遇がいいだけではありませんでした。

ボクの上司であるリーダーの方をはじめ、先輩介護職員の方々皆さんが明るく人間関係もとてもいいのです。

ボクはADHDの多動性からかどうしても「せっかち」になってしまいます。

正直に言うと、転職して間もなくはゆっくりとした高齢者の方のペースに合わせなくてはならない介護の仕事は「ボクには向いていないかもしれない……」と悩むことがありました。

ですが、そんなボクを同い年のリーダーの方の言葉が救ってくれたのです。

「Nさんはとても一生懸命で仕事が早いとみんなから高い評価を受けてますよ。
ただね、1つだけ注意してください。
それはね、介護の仕事は早ければいいという訳ではないということです。
忙しい現場であるため仕事がスムーズにこなせることは大切です。
ですが、サービスを提供させていただく相手の方は、介護が必要な高齢者の方であるということを忘れないでください」

「Nさんはリーダーの私や先輩の方々にホウレンソウ(報告・連絡・相談)がとてもよくできていますね。
学びたいという姿勢があることはとてもいいことです。
ただNさんはアドバイスに対して、『でも~ですよね』という自己主張の切り返しが多いんですよね。
すぐに『でも!』というのではなく、いったん『なるほど』と先輩のアドバイスを飲み込んでください
そしてよ~く考えてから発言してください。
そうすればNさんの成長はもっと早くなると思いますよ」

このような親身なアドバイスを、ボクは涙が出るぐらいありがたいという思いで受け止めています。

ADHDであることは職場の方々には伏せてはいますが、ボクの「個性」を受け入れていただけているのです。

 

転職先の老人保健施設に入所されている利用者の方々は介護度が比較的高いため、介護量が多いという大変さもあります。

ですがそのような部分も「介護職として様々な経験を積め技術を磨ける環境」だと考えています。

さらに、ボクの長所をのびのびと発揮できるチャンスも得ることができたのです。

ボク自身が楽しいこと、面白い事が大好きなのはもちろんですが、人様に喜んでいただくこと、笑っていただくことも大好きなのです。

勤続3年目ですがレクリエーション委員会の委員長に抜擢され、フロアの仲間たちからは「レク番長」という愛称まで頂いています。

レク(レクリエーション)は苦手な人も多く、アイデアや準備、マイクパフォーマンス的なトーク力も必要な部分もあるので、おだてられて都合よくレク担(レクリエーションの担当)を任されているのかもしれません。

ですがそうだとしても、ボク自身は今まで仕事で感じることがなかった、溌剌(はつらつ)とした気分とやりがいを感じ、「40を過ぎてやっと天職に巡り合えた!」と思っています。

来年には国家資格である介護福祉士を受験し、必ず合格して見せます。

そして、介護福祉士としてさらに経験を積み、ゆくゆくは肉体労働中心の介護の現場から離れ、事務・相談業務が中心となるため60~70代となっても安定して働き続けることができるケアマネージャーの資格を取得するという目標、未来計画を現実化するつもりです。

 

介護の仕事は未来がないとか世間では言われています。
しかし、それはウソです。

一例ですが、介護職員初任者研修実務者研修介護福祉士ケアマネージャーと資格を取得してステップアップしていけば、安定して働き続けることができるのです。

紆余曲折を経てやっと見つけることができた、ADHDのボクがのびのびと働くことができる現場、それが世間ではブラックといわれている「介護の仕事」なのです。

ブラックな介護の現場が存在することは事実です。

ですが、ブラックではない好待遇で働きやすい、ホワイトな介護の職場もたくさんあるのです。

これは超ブラックといわれている飲食業界でも、ホワイトな企業・職場があるのと同じです。

利用価値のあるもの=介護職専門の転職支援サービスに登録し、一人では決して得ることができない優良求人・各施設の内情などの情報の収集や、待遇面の交渉などのサポートを受けることによって、末永く安定して働き続けることができる職場に巡り合うことができるのです。

>>介護職専門の転職支援サービスって利用したことがないから、どんな感じかわからないので不安……という方は【知っておくべき!介護職専門の転職支援サイトの8つ基本サービス】をお読みください。

ボク自身や介護職仲間が実際に介護職専門の転職支援サービスを利用し倒した経験から、基本的なサービス内容についてカンタンに理解しやすいようにまとめてあります。

 

行動を起こさなくては何も変わりません。

ほんの少しだけ勇気をもって、ちょっとだけでも前に進むことによって、今まで見えていた景色が一変することってあるんです。

最後に、ボクが青春時代に大好きだった曲の歌詞から一節を送ります。

~君には何が見える そんな低いところから
人の頭ばかりで 見えないだろう~
ECHOES(辻仁成)「FOOLISH GAME」

>>次の記事【ADHDで転職を繰り返した40代男性が介護の仕事で見つけた生きる道③】では、「ADHDの人が介護の職場を選ぶ時に重要な3つのポイント」についてじっくりと解説しています。

 

 

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