40代の介護職体験談 40代の介護職転職 40代はじめての介護の仕事

40代ファミレス店長が胃潰瘍で吐血して倒れ介護職に転職して救われるまでの道筋

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渡邊

転職活動お疲れさまです。

40代・「現役」介護福祉士の渡邊です。

この記事では、Kさん(46歳:男性)が、

・脱サラして始めた自営の飲食業を廃業~
・ファミレスの正社員に転職~
・ファミレスの店長に抜擢~

10連勤が当たり前の激烈ともいえる店長業務の末、体を壊してしまったKさんが介護の仕事と出会い、心身ともに安定した生活を取り戻すまでの過程を紹介しています。

 

Kさんは1年半ほど前にボクの勤める介護付き有料老人ホームに派遣されてきた、他業種(飲食業界=ファミレス店長)からの転職組の方です。

マジメで明るい性格のため派遣当初から利用者の方、同僚からとても慕われていました。

なので派遣期間終了後、施設長から直々にスカウトされ、現在は正社員として一緒に汗を流しています。

Kさんが介護の仕事に出会うまでの略歴

・大学卒業後、中小のOA機器メーカーに就職。
ノルマの厳しい過酷な営業職として14年間勤める。

・29歳の時に社内恋愛で結婚。
1児(女の子)を儲ける。

・娘が小学生になったのを機に、念願であった自営で飲食業(定食屋)を始めるために37歳で脱サラ

・開業2年目に食中毒を出してしまい経営が悪化。
・運転資金が尽き閉店=39歳で廃業

・ハロワ通いで職を探すも仕事が決まらない日々が続く
・借金返済+生活費を稼ぐために、飲食業の経験からファミレスに正社員として就職
・このころ奥様が借金返済+生活費を稼ぐために介護の仕事(デイケア)を始める。

1年弱で店長に。
奴隷ともいえるほどの超ブラックな激務の日々が始まる。

・店長勤続2年目に過度のストレスから胃潰瘍になり、吐血して2週間入院

・退院後、職場復帰するが数ヵ月で胃潰瘍が再発し吐血。
・43歳で生命の危機を感じ退職を決意。

・約1ヵ月の療養後、奥様のススメで介護の仕事をすることに。

・介護の仕事未経験・無資格であったため、ネットで介護職への転職を調べた結果、介護職専門の転職支援サービス(注)「かいご畑」を利用することに。

(注)かいご畑介護職未経験・無資格の求人に特化していて、働きながら「無料」で介護の資格を取得できるキャリアアップ応援制度などサポートが充実している介護職専門の転職支援サービスです。


・高待遇の介護付き有料老人ホームへ無事に転職。
・キャリアアップ応援制度を利用して無料で「実務者研修」を取得する。
・派遣期間終了後、施設長から正社員勤務の話を頂く。

・現在勤続2年目。
いままでにない、安定して安心できる生活を送ることができている。
・今後の第一の目標として実務経験を3年積み、国家資格である介護福祉士の取得を目指している。

・Kさんの展望として、60~70代になっても安定して働くために、肉体労働中心の介護の現場を離れることを考えている。

具体的な計画としては、

1:ケアマネージャーの資格を取得してケアマネとして働く。
【業務内容】ケアプラン作成などの事務+相談業務中心
【年収】360~400万円

2:給料の良い有料老人ホームなどの施設管理者として働く。
【業務内容】人事・労務・収支・設備などの管理
【年収】400~600万円

の二択を考えているとのことです。

>>Kさんの詳しい転職歴を知りたい方は、下方の記事【Kさんの詳細な転職遍歴】をお読みください。

 

「Kさんからの提言」40代・未経験・無資格で介護職への転職を考えている方へ

略歴の通り20代で社会に出てから紆余曲折、波乱万丈、いろいろとありました。

40歳を過ぎて転職に有利な資格はなに一つ持っていない。

35歳転職限界線を大きく超えてしまっているため、仕事がなかなか決まらない……。

しかし、辛さを痛感している営業職や飲食業界にはもう二度と戻りたくない……。

そんな私の救いとなったのが、世間一般的にはブラックといわれている介護の仕事です。

介護の仕事は先がない、一生肉体労働なんて話は「ウソ」です。

今後の日本は間違いなく超高齢化社会を突き進み、これから先も介護職の需要が増していくというのに、風評被害も甚だしいと腹立たしい気持ちでいっぱいです。

まず、介護の仕事は資格制度がシッカリしています。

コツコツと学び、資格を取得していけば、スキルアップ=収入アップ=生活の安定化を図ることができるのです。

これは、私だけではなく、渡邊さん(このブログの中の人)や多くの介護仲間が実感している「事実」です。

一例として、介護職未経験でも取得することができる「実務者研修」を取得して、まずは国家資格である介護福祉士の受験資格を取得します。

つぎに、介護職として3年経験を積み、介護福祉士のもう一つの受験資格である「実務経験3年」を満たします。

そして、晴れて国家資格である介護福祉士を取得後は、資格手当により給料UPが望めますし、条件の良い職場に転職する場合も選択の幅を大きく広げることができます。

介護福祉士として5年の実務経験を積めば、ケアマネージャーの受験資格を得ることができます。

ケアマネージャーの業務は事務+相談業務中心なので、肉体労働中心の介護の現場から離れることができます。

つまり、60~70代になっても安定して働き続けることができるのです。

 

余談になりますが、我々は年金の受給は70歳以降になることは確実です。

つまり、70歳以降も働くことを目算に入れておかなくてはならないのです。
(65歳でめでたく定年……なんていうのはもう夢物語なのです)。

そうしなければ、下流老人、老後崩壊、最悪の場合はホームレス高齢者にもなりかねないのです。

 

ケアマネ以外のもう一つの選択肢として、有料老人ホームなど高齢者施設の「施設管理者」になるという選択肢もあります。

施設管理者とは、大まかに言えば「施設の運営・マネジメント」などの業務をおこなう職種です。

具体的には、

*人事:職員の採用・新人教育・人事考課など
*労務:給料計算・勤怠管理・福利厚生業務など
*設備:施設内の設備機器の管理業務など

というような、まさにthe管理職といえる業務内容になるわけです。

つまり、介護の現場での肉体労働から離れ、管理・事務中心の業務に移行するということになるわけです。

なので、介護職以外にサラリーマンや自営などの経験がある「介護職以外からの転職組」の方には、自身の経験を活かすことができる選択肢の一つではないでしょうか。

業務内容は多岐にわたるため大変ではありますが、施設によっては年収500万円以上(平均月収:40万円以上)という高待遇な求人もしばしばみられます。

介護の仕事は施設管理者のような一部の職種以外、給料は高くはありません。

ですがコツコツと資格を取得してスキルアップをしていけば、収入のアップを図れることができるのです。

また、再び転職することとなっても高待遇でホワイトな職場への転職率を高めることができますし、転職先の幅が大きく広がります。

そして、共働きであれば十分に生活をしていけるだけの金額を稼ぐことができます。

これは絵空事ではありません。

私の勤めている介護付き有料老人ホームの職員の方々、勉強会や研修で出逢った介護職仲間の多くが、駅から少し離れてはいますが戸建てを購入し(又は中古マンション)、子供を私立大学や専門学校に進学させ、自分自身もささやかな趣味を楽しむことができている……介護職の夫婦共働きでも、十分に幸せな生活を送ることができているのです。

世間に流されてしまっている情報だけに惑わされ、思考停止状態で「介護職はブラックだから転職先に選択肢から除外!」という考えは、あまりにももったいなさすぎます。

そもそも、ブラックな介護の仕事だけだったら、日本の高齢者の方は悲惨すぎます。

苦労して人生を生き抜いた先が、地獄のような劣悪な介護施設しかないなんて、ありえないと思いませんか?

そんな苦難に満ちた老後生活しか、一般市民には用意されていないなんて考えられますか?

ありえないんですよ。
そんなことは。

残念なことではありますが、ブラックな介護の職場が存在することは事実です。

これもウソではありません。

ですが、好待遇で人間関係良好なホワイトな職場があることも、私自身が実感している事実なのです。

自分一人で頑張ろうとはせずに、無料で利用できるもの=介護職専門の転職支援サービスを利用して、専属のキャリアアドバイザーの方の力を借りれば、ブラックな職場を避け、ホワイトな職場に転職を成功させる確率を格段に高めることができるのです。

介護の現場は40代のあなたの力、マンパワーを必要としています。

施設介護職員の平均年齢は43.2歳(平成27年度 介護労働実態調査結果より)と言われています。

40代でも全然大丈夫なんです。

むしろ、私の勤める介護付き有料老人ホームでは、40代の介護職員が最も多いくらいです。

この傾向は私の職場だけではなく、介護職員の主流は30~39歳(24%)、40~49歳(22.4%)なのです(平成25年度 介護労働実態調査結果より)。

実際私は40代後半ですが、いまも現役バリバリの介護職員として働いています。

先に国家資格である介護福祉士を取得してさらに経験を積み、ケアマネージャーか施設管理者として、肉体労働の現場を離れ安定して働くという目標もあります。

「介護職=4K+先がない=ブラック」などという、TVなどから流れる表面的な情報に流されずに、ちょっとだけマジメに情報収集をすれば、思いもよらないラッキーな人生の展開が待っているかもしれません。

妻のススメで出逢った介護の仕事に、私の人生は救われました。

ほんの少しの勇気で、新しい世界に踏み出してみませんか?

 

Kさんの詳細な転職遍歴

私のような自営を廃業後、どう人生を立て直していけばいいのか路頭に迷っている方。

超ブラック業界に就職(転職)してしまい、心身ともに追い詰められてしまっている方。

そんな人生の崖っぷちに追い詰められてしまっている方のお役に立てれば(40代でも人生のたてなおしはできるんです!)と思い、私の紆余曲折・前後不覚だった半生を語らせていただきます。

私は大学卒業後、中小のOA機器メーカーに営業職として就職をしました。

業務内容は各企業へのOA機器(パソコン・コピー機・FAXなど)の販売です。

会社自体は安定していたのですがノルマが厳しかったです。

毎月個人の営業成績が発表され、ノルマが達成できなかった者、下位の成績者には上司からの注意・反省文(ノルマ未達成・成績不良を自己分析したレポートを提出)も辛かったですが、同僚や上司に迷惑をかけてしまうことも非常に心苦しくストレスでありました。

そんな営業職を14年間も続けられたのは、社内恋愛で結婚し1児(女の子)を儲けたことももちろん大きな理由なのですが、夢であった脱サラして自営で飲食業(定食屋)を始めるという目標があったからです。

就職する前は将来的に脱サラするという考えはありませんでした。

また、自営で定食屋をひらきたいなんて気持ちは更々ありませんでした。

では、なぜ脱サラして定食屋をひらくという目標を持つようになったのか?

夏のめまいがするほどの暑い日も、冬の痛いほど冷たい風にさらされる日も、スーツを着て革靴を履いて外を飛び回り、営業先では冷たくあしらわれ、ヒドイ場合はストレスのはけ口とばかりに罵声を浴びさせられる営業という仕事……。

そのオアシスであったのが、「居心地がよく、低価格で美味い定食屋」であったからです。

営業の先々でリラックスができ、低価格で美味い定食屋探しが楽しみとなり、次第にその「味=調理法」へと興味が変わっていったのです。

独身時代も自炊に凝るようになり、結婚後も休日の食事は私が担当するぐらい「料理」にハマりました。

そして、次第に「脱サラしてこれを仕事にしたい!」という気持ちが大きくなっていったのです。

幸い妻も理解してくれたため、娘が小学生になったのを機に、念願であった自営で飲食業(定食屋)を始めるために脱サラをすることとなりました。

私と奥さんだけではじめた、こじんまりとした定食屋でした。

小さな駅でしたが駅前の好立地に店を構えることができたため、出だしは好調でした。

このままささやかだけれども、幸せな生活を続けていくことができれば……そう思っていました。

しかし、人生は残酷です。

わずか開業2年目にして、食中毒(O157)を出してしまったのです。

夏場に出したポテトサラダが原因でした。

店を再開後も客足が戻ることはありませんでした。

そして、運転資金が尽き閉店=廃業をすることになってしまったのです。

脱サラしてわずか2年。
39歳の秋のことでした。

忙しさにかまけて食品管理を徹底して行わなかったことの後悔、信頼してくださっていたお客様を裏切ってしまったという懺悔の思い、40歳を目前にして無職という生活への絶望感……苦しさに耐えられず、一月ほど酒に溺れてしまいました。

しかし、娘の一言「お父さん、あんまりお酒を飲みすぎないでね」の一言に、「こんな自分ではさらに家族に迷惑をかけているだけではないか!」と深く反省し断酒を決意。

生活を立て直すべくハローワーク通いを始めました。

しかし、39歳、転職に有利な資格もスキルもない私にはいい仕事は見つかりませんでした。

仕事がないからといって、借金の返済+日々の生活費は待ってはくれません。

しかたなく、飲食業の経験を活かせると思い、ファミリーレストランの正社員として働くことを決断しました。

「ファミレスは飲食業界の中でも特にブラック」ということは知ってはいましたが、背に腹は代えられないところまで来ていたのです。

)ちなみに、このころ妻が借金返済+生活費を稼ぐためにはじめた介護の仕事(デイケア)が、私が将来的に介護の仕事へと転職をするきっかけとなりました。

 

ファミレスの正社員としての仕事はとても忙しいモノでしたが、それなりに遣り甲斐はありました。

このころは休みもある程度(1~2日/週)は取れていました。

借金の返済と生活費を稼ぐために必死で働きました。

一生懸命働けば報われるのだと思っていました。

しかし、私の人生には「夢だった自営業が2年で廃業」よりもさらに残酷な試練が待ち構えていたのです。

無遅刻・無欠勤でマジメに働いていたことが評価されて(しまい)、1年弱で店長に抜擢されて「しまった」のです。

ファミレスの店長になることにより、年収のUPは約束されました。

しかし、まったく嬉しくありませんでした。

なぜなら、飲食業界での店長の経験がある方ならば痛いほどによくわかると思うのですが、拘束時間が尋常ではなく長くなってしまうからです。

ファミレスは24時間営業です。

つまり「24時間シフトに穴をあけられない」ということなのです。

社員の病欠、パート・バイトの欠勤はすべて店長が穴を埋めなくてはならないのです。

店長昇格時に「管理職のため残業代は出ない」という説明を受けていました。

なので、穴埋め勤務はすべてサービス残業でした。

サービス残業込みで一日平均15~16時間は働いて週6勤務は基本。

10連勤は当たり前、ヒドイときは20連勤もありました。

15時間/1日×6日/週=90時間/週

90時間×4.3【一ヵ月30日÷7(1週7日)=約4.3週】=387時間

これだけ働いてもらえる一月の給料は約28万円でした。

月給:約28万円×12ヵ月=336万円+ボーナス年2回:約80万円
年収=416万円

416万円/年収÷4644時間(387時間/一ヵ月×12ヵ月)=約896円

つまり、約896円の時給で働いていたことになるのです。

バイトの時給が1000円~1200円でしたので、アルバイト以下の時給で激務をこなしていたのです。

激務……900円以下の時給でのファミレス店長の仕事はまさに激烈な業務内容でした。

ホールでの接客やキッチンでの調理以外に……

・シフト作成
・勤務時間のPC入力
・仕入れのスケジュール管理
・作業指示書の作成
・売上計画書の作成
・月間売上報告書の作成
・器具の棚卸
・新人のトレーニング
・クレーム対応
・ハローワークや求人情報誌へ提出するの求人広告の作成
・定期の店長会議&プレゼンの書類作成……。

やってもやっても仕事が終わらない。

ベルトコンベアーに載った荷物のように、仕事がドンドン押し寄せてくる。

疲れた状態で業務をこなすので、効率が悪くなり時間ばかりが過ぎていく……。

どの業務も大変ではあったのですが、とくに時間を割き、苦労したのがシフト表の作成でした。

店長という立場である自身の休みを削り、練りに練って、難解なジグソーパズルのようなシフト表を作成しても、アルバイトの急な欠勤でシフトが狂い、サハラ砂漠の小さなオアシスのような休日が、欠勤の穴埋めのために消し飛んでしまうことも良くありました。

疲労は完全に回復することはなく、日に日に自身の「闇」の中に蓄積されていく……。

ぬけガラのような状態でなんとか帰宅して、風呂に入ったまま寝てしまい、溺れかけたことが何度もありました。

車通勤をしていたため、疲労による注意散漫・居眠り運転で接触事故を起こしてしまったことも数回ありました(人身事故を起こさなかったのが奇跡でした)。

現代の奴隷ともいえる超ブラックな激務の日々……。

そしてついに、店長勤続2年目にストレスから重度の胃潰瘍になり、職場のキッチンで吐血して倒れてしまったのです。

救急車で病院に運ばれ、2週間入院することになってしまいました。

入院して2~3日は泥のように眠り体を休めることはできましたが、すぐに仕事のことが気になり、いてもたってもいられなくなってしまいました。

「クビになってしまったら、生活できなくなってしまう……」
「娘の学費が払えなくなってしまう……」
「40過ぎて転職なんてできない……」

アセリとネガティブな思考とがグルグルと頭の中を駆け巡っていました。

退院後、医者の忠告もきかず(きけず)に、すぐに店長として職場復帰(他に選択肢はありませんでした)をしましたが数ヵ月で胃潰瘍が再発し、ふたたび吐血して倒れてしまいました。

「まずい……こんなことを続けていたら本当に死んでしまう……」

目を背けていた現実を直視し、生命の危機を感じ退職を決意。

会社から強く引きとめられるかと思いましたが、あっさりと退職を認められました。

おそらく、カラダを壊したポンコツはお払い箱であったのでしょう。

43歳の春、私は再び無職になってしまいました。

この頃、非常に運が良かったのが、介護の仕事(デイケア)でパート職員として働いていた妻が、正社員として採用されることになったのです。

決して多い額ではありませんでしたが、パートのころよりは給料が上がり、収入が安定しました。

妻と娘の強いススメもあり、私は約1ヵ月の療養生活を送ることにしました。

1ヵ月ほどゆっくりと休むと、「また働かねば」という気持ちと共に「また働きたい!」という衝動とが体の内側からワキ起こってきました。

ハロワ通いをはじめましたが、正直いい仕事はありませんでした。

気持ちは転職に前向きなのに、現実が後ろ向きという皮肉……。

そんな私に妻がかけてくれた言葉が、「あなたも介護の仕事をしてみたら?」という何気ない一言でした。

「なるほど……いままで考えていなかったけど、そういう選択肢もあるか……」

働くことに飢えていた私は妻の提案に喰いつき、根掘り葉掘り質問の嵐をぶつけました。

妻はちょっと驚いた様子でしたが、私の問いかけに丁寧に答えてくれました。

私Q:介護の仕事はキツイというけれど、一度体を壊した40過ぎのおっさんでも働けるのか?

妻A:仕事のキツさは職場によると思うし、40~50代の方も多く働いているので全然大丈夫。

 

私Q:未経験・無資格でも採用されるのか?

妻A:私が働いている老健(介護老人保健施設)の職員の方の多くは、未経験からのスタートだから大丈夫。
ただ、より高待遇の職場で働きたいと思うなら、資格は取っておいた方がいい

>>重要な介護の資格「実務者研修」を働きながら無料で取得できるキャリアアップ応援制度のある、介護職専門の転職支援サービスはこちらです⇒かいご畑

 

私Q:給料は安いのではないか?

妻A:確かに高くはない。
だけど資格を取得してステップアップしていけば手当がつくし、より高待遇な職場に転職するための選択肢を大きく広げることができる。

 

私Q:将来性はあるのか?60代を過ぎても働けるのか?

妻A:60代でも介護の現場で働いている人はいるけれど、正直厳しいと思う。

だけれど、国家資格である介護福祉士を取得して施設管理者や、介護職専門の転職支援会社のキャリアアドバイザーとして、肉体労働中心の介護の現場を離れて働くという選択肢がある。

また、ケアマネージャーの資格を取ってしまえば、事務+相談業務中心の仕事に移行できるため、60~70代になっても安定して働き続けることができる

 

私Q:介護の仕事にはいくつぐらい種類があるのか?

妻A:私も介護業界に入って驚いたのだけれど、思ったより沢山ある。

特養(特別養護老人ホーム)
老健(老人保健施設)
有料(有料老人ホーム)
サ高住(サービス付き高齢者向け住宅)
グループホーム(認知症対応型共同生活介護)

などで、入所されている利用者(高齢者)の方の介護をする仕事もあれば、デイケア・デイサービスという、通所施設(家から通う泊り無しの施設)もある。

また、ホームヘルパーや訪問入浴介護などの在宅での介護の仕事もある。

 

妻ととことん話し合った結果、私の気持ちは「介護の現場で働く」と腹が決まりました。

しかし、どの現場で働きたいのか、どの介護の仕事が自分に向いていて稼ぐことができるのか、詳しくはわかりませんでした。

妻は介護職としての経験が数年ありましたが、一ヵ所(老人保健施設のデイケア)での経験しかありませんでした。

なので、ネットで介護の仕事と転職について、3日ほどかけて徹底的に情報収集をすることにしました。

すると、介護職専門の転職支援サービスというものがあり、希望の求人情報の紹介から待遇面の交渉まで、手取り足取りサポートをしてくれるということ。

ハローワークを利用しての転職よりも、ブラックな介護の仕事につまずいてしまう確率を下げることができるのだということがわかりました。

更にこの時にわかったことが、「それぞれの介護職専門の転職支援サービスには個性=長所と短所があるため、転職を成功させるためには、自身にあったサービスを利用しなくてはならない」ということでした。

たとえば、

・介護職未経験・無資格の求人に特化していて、働きながら「無料」で介護の資格を取得できるキャリアアップ応援制度などサポートが充実している。
かいご畑

・有資格者向けの求人数が業界トップクラス+日本全国の求人をカバーしている+高待遇の「非公開求人」を数多く取り扱っている。
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ということなのです。

私は介護職未経験であり、経済的な負担を抑えるために「働きながら無料で介護の資格(実務者研修)を取得したい」というスタンスであったため【かいご畑】を利用することにしました。

>>かいご畑を利用する上で知っておくべき重要なことを【40代が漠然とかいご畑を利用しても転職が成功しない3つの理由】にまとめてありますのでぜひお読みください。

 

かいご畑の専属のキャリアアドバイザーの方に、ハードルが高目の転職希望条件を伝え、それに見合う求人情報をいくつか紹介していただき、3ヵ所ほど施設見学時をおこないました。

最終的に、見学時に案内をしてくださったフロアリーダーの方の感じが良く、待遇面でも不満がなかった、現在も勤めている介護付き有料老人ホームに申し込みを決定をしました。

話がそれますが、介護の仕事未経験の方に絶対に覚えておいていただきたいことがあります。

それは、介護職の給料(待遇)は、施設によって雲泥の差があるということです。

介護施設としては同じ種類となる介護付き有料老人ホームであっても、

(A)という施設では「月給:15万円(サービス残業:80時間/月)」
(B)という施設では「月給:25万円(残業:10時間/月・手当あり)」

ということが当たり前のようにあるのです。

世間的にブラック介護施設と騒がれているのは(A)のような施設です。

このような施設につまずいてしまわないよう注意が必要です。

 

そして派遣期間終了時に施設長の方から、「正社員として働いてくれませんか?」というありがたい言葉をかけていただき、現在は勤続2年目を迎えています。

介護付き有料老人ホームで渡邊さん(このブログの中の人)の心強いサポートを受けながら、忙しいながらも充実した毎日を送ることができています。

介護の仕事は確かに忙しいです。

楽な仕事ではないことは事実です(というか、楽な仕事ってあるんでしょうか?)。

夜勤ではナースコール(エリーゼのために)が耳につき、家に帰ってまでも「エリーゼのために」がどこからか聞こえてくるような感じがすることもあります。

しかし、忙しいといってもファミレス店長の比ではありません

店長としての重責、一人の人間の限界をはるかに超えた山のようにこなさなくてはならない仕事、今度は休みがいつ取れるかわからないという絶望感……そんなことを感じる必要がまったくない生活。

月に数時間のサービス残業があっても大体は定時に上がれ、シフト通りに休め、有休を希望通りに消化できる環境。

ファミレス店長の仕事が地獄すぎたためか、天国のような職場だと思います。

私の今後の展望としては、60~70代になっても安定して働くために、ゆくゆくは肉体労働中心の介護の現場を離れることを考えています。

第一の希望としては国家資格である介護福祉士取得後、有料老人ホームなどの「施設管理者」となり、施設全体を管理しながら、利用者の方が過ごしやすく、介護に携わるスタッフの方々が働きやすい施設運営をしていくことができればと思っています。

第二の希望として、ケアマネージャーの資格を取得後、この有料老人ホームの施設ケアマネとして働くか、関連施設である居宅介護事業所に異動し、在宅の現場を支えるケアマネージャーとして働きたいと考えています。

将来に明確な目標を持つことができ、安定して安心して過ごせる毎日……。

夫婦共々介護職での共働き(介護業界ではごく普通の共働きの形です)であるため、お互いの仕事のグチや悩みを理解し合えるため、今まで以上に夫婦の絆が深まったと感じています。

決して一人では掴むことができなかった、転職成功の成果であったと確信しています。

 

まとめ

人生の荒波にもまれ、体を壊し、40代で無職になってしまったとしても、介護の仕事に就き、人生の再スタートを切ることは可能なのです。

ただし、一人でハローワークや求人情報誌などでヤミクモに介護職への転職活動をしてしまうと、ブラック介護施設にハマってしまう危険性があります。

>>介護職への転職でハローワークを利用してはいけない理由を【注意!】介護業界への転職でハローワークはNGな決定的な5つの理由で分かりやすく解説しています。

40代という崖っぷちだからこそ、介護職専門の転職支援サービスを利用し、賢く・効率的に転職を成功させる必要があるのです。

>>介護職専門の転職支援サービスについて詳しく知りたい方は【知っておくべき!介護職専門の転職支援サイトの8つ基本サービス】をお読みください。

>>徹底して厳選された、良質な介護職専門の転職支援サービスについて知りたい方は【40代・未経験の方専用|介護職専門転職支援サービスランキングbest4!!】をお読みください。

あなたの「介護職はブラックだからNG」という考えをちょっと考え直し、少しだけ勇気を出して行動してみるだけで、人生が180°好転するかもしれませんよ。

 

 

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